ママになる人へ

ママになる準備。
生真面目で融通の効かない私は、本屋で「🐣はじめての 妊娠・出産🐣」と「🐣はじめてのたまごクラブ🐣」を買いましたよ、勿論。
けれど、赤ちゃんとはどういうものか、必要なお世話とは、の概要は掴めた(?)けど、全然赤ちゃんとの暮らしは想像がつかなかった。
それに、知ってたことと言えば、ワイドショーとか雑誌とかで有名人が出産報告で言う「幸せ」「天使みたい」「愛しくてしょうがない」。本心で言ってるのか、そういう私って素敵✨と自分に心酔しているのかわからないが、とにかく、そういうこと。
○赤ちゃん=可愛いくて綺麗で天使みたいなもの
○自分の分身に出会える
と、思っていた。
ところがどっこい、生まれたての赤ちゃんって、赤くて自分にも似てないししわしわでおさるさんみたい。そういえばよく赤ちゃんはガッツ石松派か天使派に分かれる、と聞いたこともあったような・・・。案ずるより産むがやすし、とかいうけど、ほんと先人の知恵というか、先人の「言葉」は、事実を表しているわ。
そしてそして、食事→排泄→寝る→泣く、の繰り返しで、最初は笑わないということ。
最初は、よく知っている「人」っぽくない。
当然、死ぬときもだんだんと機能を失っていくのだろうから、生まれたときも、全機能整ってない。鹿みたく、生まれてすぐ立って自分で乳のみにこれりゃ安心なのにね。全機能一通り揃って、人として最小限一人前かな?と感じるのは個人差もあるだろうが、私は3歳位かなと思う。
排泄も、オムツの機能が高いんだろうからそんなに頻繁に替えなくてよかっただろうに、少しでも汚れたら替えていたし、泣くのも泣いたら抱っこと思い込んでいつでも抱っこした。そして腱鞘炎、なんてママが初ママさんにはよくいるので、みんなもそうなんだろう。でも、泣くのも抱っこされたいから、とか、お腹すいたから、とか、眠たいのに寝られないから、とか、理由があるみたい。だから、全て抱っこ、対応は、ちょっと違ったのかなーと今は思う。
そしてそして、そんなこんなで、色々と時間がかかること。そしてマニュアルがない!ということ。
時間が赤ちゃんに割かれる分、何かを諦める生活になるということ。例えば、「凝った美味しいご飯」とか「キレイな部屋」とか「落ち着いた情緒の自分」とか。それらと赤ちゃんの世話を完璧にできる人もいるだろう。でも条件が同じでもできない人もいるし、条件が違うこともある。頼りがいのある旦那さんがいたり、自分の兄弟姉妹や、親の状況だって違う。人と比べることじゃない。そして、下手でもちゃんとこどもを守って、お世話して毎日毎日過ごせたということ。その、一日一日が、○歳の娘・息子を形づくっているもの。部屋が汚くても、ご飯が野菜炒めでも、しょうがないのだ。その数年はそういうもんだ。そう思っておかないと、自分にも不満だし、そんな状況を作り出した夫にも不満が溜まる。だが、いつまでもそんなんじゃない。明けない夜はない。どろどろとヨレヨレでも、いつかは抜け出せるトンネルなのだ。とはいえ、渦中の時は必死で「😊そんな時期そんな時期😊」なんて、つゆ程も思えないと思うが、本当に赤ちゃんとの生活は、異常事態と思って、期待しすぎない方がいい。
一人一人生きていくのは容易い二人が出会って結婚し、新しい一人を背負っていく。
その初鼻が、簡単なわけがないのだ。

そして、マニュアルがないことについて。
赤ちゃんは、一人一人違う。
置かれた状況も、一家族一家族違う。
今までは、なんでもかんでも手引きやガイダンスや導入やマニュアルや平均値やランキングがあって、先に把握した上で、「それなら自分はこの辺り」と目安とすることができたが、育児では起こることもバラバラ、他を参考にしても我が子にはあてはまらないこともざら。我が子の成長を先に把握できない。更に、やっと理解できたと思ったら、成長し、また変わっていく。刻々と変化する状況。自分の頭で考えて、動くしかないのだ。そもそも平均や中央値を考える時間もない。それより、実践実践になる。

ファミコンやら家電やらを、説明書読んでから使い始める派より、実践実践派、と同じ。

そんなこんなで、出産に淡い憧れしかなかった私のような新米ママさんは、現実との落差が激し過ぎて動揺すると思うので、こんな心の準備をしておいて欲しいなーと思って書きました。

親戚とか、近くに現実の赤ちゃんとの生活見せてくれる人が女性の近くにいればいいのだけれど。
街でふとみかける赤ちゃんは「かわいー」と言われているけど、それを支えている全面的に担っているママや母の水面下の足のばたつかせようは、半端ない。
そんな3年間が待っていると思う。

そんな3年間を過ぎた私は今「うるさい」とか「言うこと聞かない」とかの新たなガキンチョ問題に直面しているが、子供達は遠くで眺めていても勝手に生きていってくれる逞しい生物に進化していて、私が少し離れただけでは死なない、という安心感を持って一緒に過ごすことができる。

赤ちゃんは、不安定だ。
天国から来たばっかりで、少しでも何かしなければ、消えてしまうのではないかという心細さが付きまとう。

その不安を持ちながら、新たな、要領もわからないことをどんどんしていかなければならない3年間。
本とかで知識を入れるんじゃなくて、自分のできることを自分でしていくしかない。
今まで蓄えてきたパワーや知恵や応用力を総動員してことに当たればよかったんだな。

そういう、試練の場として辛くて当たり前と思ってほしい。

もともと楽しい人、楽しめる人・・・・は、この文章は全く当てはまらないと思うので、気にしないでください。

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず

題名の一文は、聞くと、「王様だっているし社長だっているし県知事と私は同等か?イヤ、違うだろう。」と、いつも思っていました。
それにがんばって地位を得た人、頑張らずに困っている人、また不運なだけかもしれませんが困っている人。人間、同じじゃない!と思ったものです。

ここまで書くと「学問のススメ」読んでないのバレバレですね~💦そうです。読んでないんです。こどもが少し一段落したので、これから読めそうです。(ウキウキ)

で。

身分や家柄は生まれながらにして違いますが、「人間そのもの」には、上も下もない。違いをつけるのは、「学」だけ、という主張、今なら少しわかります。偉い人でもそうでない人でも、与えられた時間は同じ。病気などから逃げられないのも皆同じ。不老不死の人はいない。有限の人生分を何に懸けて(投資して)何を成果として残すか。

アラサーだからでしょうか。

人生の残り時間が気になって参りました。
二十歳の頃のように、フワフワしてはいられない。
間違いたくない。
「老い」を感じると、「時間」を意識して、何に時間と労力と心を割いていこうか、真剣に悩みますね。
良い契機です。

ちなみに私は、少々の家柄や身分の違いは、しょうがない、と考えるようにしています。私はただのフツーなので、親が社長の人とかTVで見ると羨ましくはなります。でも。自分の子孫やDNAに何か残したいっていう意欲で頑張った人の残したものが、子孫を有利にするのは、まぁ、そうかーと思うというか。子孫って、自分を重ねる、自分の成果、自分そのものなんでしょうね。きっと。

今日のブログを書くきっかけは、北里柴三郎の伝記を最近読んだからなのですが、気になってた人の本を読んだら、つい最近まで見ていた「あさがきた」と時代背景が重なっていて、とても理解しやすかったです。「あの時代ね」って目に浮かぶんですから。ありがたいもんです。NHK。(SKEとかHKTではない)

北里柴三郎って方は、8歳から親戚などに預けられ、ずっと勉強をしているんですね。門下生になって。そして武士になりたい→(明治維新)→軍人になりたい→医学校なら行っても良いという親の許可→軍人になるための語学の勉強としてオランダ人医師に付く→医者になろう→公衆衛生を専門にし多くの人を救おう・・・・と、どんどん考えを進めていき、遂には破傷風菌の単独培養成功→血清療法発表→ペスト菌の発見・・・・と、どんどん実績を残していく。
凄い人ですね。そして親も凄い。
何処ででも、頑張って、成果を出して行くことで認められ、目をかけられ、次に繋がっていく、っていう成功体験を地でしています。そしてずっと。
きっと、他の道を歩んでいても成功していたに違いない、この人は。(運などもあるのかもしれませんが。)
「置かれた場所で咲きなさい」って本の題名も思い出しました。(これも読んでないけど。)

何処ででも、置かれた場所で、頑張って行けば道は拓けてくる、そう、教えてくれるような人生です。
そして、ただ研究をするんじゃなくて、研究した成果で、病気を減らし、人々の生活に直に関わって良くしていく、なんて、なんて意味のある、素晴らしい人生を歩んだのでしょう。
ただただ努力して勉強と研究を頑張って、人々の暮らしを良くする、なんて。
そして、そうやって頑張って人のために働いた人が、人々から好かれない訳がない。
地位や名誉も付いてくる。でも、名誉や地位を欲しがってやったんじゃあ、こんな人生歩めてないと思います。

子育ても、していきますが、この先どのような仕事ができるかな、と考えてた私に、色々なことを教えてくれた伝記でした。まずは、置かれた場所で咲いてみますかぁ♪✨
そして有限の人生、何を学んで何を為していくか。

小さくても。

そう考えていたら「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」ってそういう意味だったんだなー、とわかったのでした。

せっかくの人生ですから、何か学んで人のためにもなりたいですね。
それが、ひいては自分のためになる。
自分も「人」の一員です。

そうやって「この世界で自分に何ができるか」考え淡々とやっていくことが、「自立する」こと「生きていく」ことかもしれないな、と思いました。
この年で。


親も凄い、というのは、詳しく調べてないので養子に出しちゃって終わりなのか、ずっと学費を出していたのかはわかりませんが、ずっと学問させている所。そして、8歳から親元を離しても勉強させている部分ですね。柴三郎さんが、「医者になろう」と決意してから勉強を始めたのでは、その後の研究時代の数々の発見に辿り着けたかどうか。
やはり、ずっとしていた勉強の下地あっての発見だと思います。
そんな風に、勉強の得意な子に勉強をさせて、人の役に立ちまくっちゃってる人を生み出した親も、やはり凄いです♪

人を気にして自分を気にしない

人からどう見られるかだけを気にして
焦って
選択しがちだけど
自分がどう思うか?

忘れてる
ずっと行くパートナーはじぶん。
じぶんが気に入らない選択を歩むのって苦痛。
じぶんの良かれと思う選択を信じてあげよう。
可哀想過ぎるよ、ずっと無視なんて。
どうおもう???
そうおもう。
どうおもう???

セルフオーガナイザーになって、
ひとつずつ、
階段を積んで行こう。

一足飛びに結果だけを求める、
ウザイ監督のじぶんは置いといて、
ゆっくり、
ひとつずつやろう。
ひとつずつしかできないから。
無理に先を焦っても無理なだけ。
ひとつずつ。

仕事のプロ化について

ちょっとこどもを見てたり、
ちょっとおばあちゃんを見てたり、
そんなちょっとのことで救われる人が確実に日本にいると思う。
育児ノイローゼとか、介護うつとか、そんなのも、少しも助けてもらえないことから、一人で追い詰められていく部分があると思う。
もちろん、そうならない環境を用意するべきだった自己責任はある。
でも、運もあるし、そこまで、しんどい情報が流れ出ていない世の中。
しんどい情報は、語られにくい。
誰もhappyにならないから。
でも、事前に知っておかないと、準備も環境を整えることもできない。
もっと負の情報も結婚前、介護前の人々にもシェアされるべき。

また、ちょっとした手伝いでも、事故などあったら大変だから、手を出せない。
資格を持った人が、プロとして行う。
こういう、きっちりした日本のシステムが、ちょっとした手伝いをしてもらいたい人を妨害している気がする。
何でも専門化されてて、ナアナアでは首を突っ込めない。
裁判で訴えるのも、事故は悲しいけど、そこもきっちりしてたら、ちょっとした手伝いを頼むことは断念するしかない方向だと思う。
昔は、村とかコミュニティーで助け合えてたかも知れないそんなちょっとした手伝い・手助けだけど、今はそういったコミュニティーもないし・・・・
育児者、介護者は、自らそういったサークル等に積極的に属さないと、本当窒息しそうになると思う。。。
親類に頼むか、お金を払って頼むか、サークル等のコミュニティーを自分で開拓するか。
それ以外に、育児や介護の孤独、ノイローゼ、うつ等に対抗する手段は無いように思う。

「保育園にあぶれた人の本音投稿」について

最近話題だった日本死ね、投稿について。
日本の一番偉い人が「匿名なので実際どんな方が書いているか存じ上げませんが」と言った。


実名で書けますか!!!??


まして、一般人で、保育園預けて働こうとしている人。
別に権力者でもないだろうし、本当に普通の人だろう。


実名で書けますか!!!??



それが知れ渡って、仕事の面接とか落ちやすくなったらどうする??


それに、匿名だから誇張して本音を書けて、その本音に反応した共感した人が沢山いたということ。
これを実名で書くとしたら、もっと丁寧な言い回し、もっと控えめな表現しかできないでしょ!!!???
それに共感が集まるか??
集まらないでしょ。
名前を出さない人の意見、ってその方は受け取ったみたいですけど(本当に保育園落ちた本当に親かって疑問をお持ちなんでしょうけど)、政治家じゃないんで。名前出して活動してるそういう、職業じゃないんで。

でも、それがもし架空の人の意見であっても、世間の反応が沢山あるのは事実なわけで。
顔出して「共感しますー」ってコメントしてる人もいるわけで。

そういう、庶民の、世間の、反応を半信半疑で扱ったり、心から聞く耳を持たない政治家って、何のための政治家なんだろうか。

国民の為、人のため、って言ってるのは嘘で、自分のため、なんだろうか。
次も同じ党が当選するため、高齢者にはバラマキをする予定だそうだが、選挙に行く率の高い高齢者だけに手厚くするんだ。
若者が選挙に行かないのって、若者だけをバカにして来続けているけど、そういう若者を育てた社会って、その方が政治家になってから生まれた世代じゃないだろうか。
もっと、どの世代のことも考えた政治をして頂きたい。

高齢社会

高齢「化」社会、じゃなくて、もう「高齢社会」ですよね?
老人ホームとかデイサービスとかでケアされることも必要だと思うけど、ただ一緒にいる、危なくないように見ててもらう、って時間をどうにか色んな人も手伝って共有できないだろうか。
見ててもらえないと、ちょっと買い物行ってくるのも行きにくかったり、何かと心配。
ケアするのは専門家がいいだろうけど、何もない時間をやり過ごす相手は、専門家じゃなくてもいいはず。

友達の定義

友達って服装とか趣味とか似たような興味や価値観がある人、一緒にいて楽しい人かなって思ってたけど、違うかも。
服の価値観は違くても、もっと大事な、心の芯みたいな部分が一緒の方が大事かも。
一緒にいて楽しいとか盛り上がらなくても、おんなじ意見かなって人の方が心の奥底では信頼感増す気がする。うわべは全然盛り上がらないけど。

遠くにいても
助け合えなくても
あいつも今がんばってんだな
こっちもいっちょ頑張りますか♪
と思える相手というか。
やっぱ、上でもなく、下でもなく、ライバルなのかな。おんなじくらい。

週末美味しく酒が飲めるように平日仕事がんばる♪みたいな(*^^*)
あいつと会えたときには胸はっていられるようがんばる♪みたいな(*^^*)
・・・亡くなった奥さんみたいな設定やね・・・。

そういう、魂、みたいのが好きな相手とは、これからも友達でいられるんだなぁ、と思う。
服装とか好きだからって性格も好きな事ってあんまないよね。逆に好きな性格でも服装変だとちょっと気になってたけど、その人の服装は、私には関係ない問題だ。だって見て楽しんでる訳じゃないし。恋人な訳でもないし。
そこじゃなくってもっとがんばりを分かち合える人と話す中身・内容を見て、刺激を貰えるような生きる姿勢の好きな人と、付き合って行きたいし、自分も見損なわれないように、人生について励んで行きたいと思う。
生きるライバル=友達、かなぁ。。。
その人が同じ時代に生きてくれてることに励まされる・感謝できる=友達、かなぁ。。。
(知り合いでね。)