しんどいを基本に考える

親に学校におこづかいに教育に習い事。
いろいろ与えられて育った僕らは、恵まれている。
けれどその分、大人へなるということは、与える側へのシフトチェンジ。そのギャップ。そこをうまく切り替えられるか。
こどもの頃はもらうのが上手いのが褒められる。
でもそれは今も役に立つか?
もらって生きてきた私はもらわないだけならず与える側に立っている。
それはしんどいよな。
それまでの常識で考えりゃ。
でも、自分のことだけじゃ余ってたパワーがあったからこの状況を呼び寄せた。
私は乗り越えていける。
共同体と共に。
生半可じゃないから、持てるパワーを総動員して、でも、長距離走だから頭も使って、うまく、乗り越えて行こうね♪(*^^*)
この遥かなる道。
これこそ、きっと面白いに違いない。
私は道の途中だ。
道に歩かされると、ベルトコンベアーみたいに砂を噛むような日々。
道を攻略しようとすれば、やる気も染み出る。
困難な道に挑む、ってカッコいいじゃない。
一度目の青春(恋愛とかなんとかとかモヤモヤ)は気付かず通りすぎたけど、今回は道の途中で、気付けた。
攻略してやろう。
前向きサイコー!!!

おたがいさま

人を許すことはジブンを許すこと
誰が見てなくてもジブンは知ってる
人に厳しくし過ぎると
自分の首も絞める
やってはいけない事リストの檻に
囲まれながら過ごすということ
人を許すと
ジブンが失敗したり
人に迷惑を掛けたり
穴掘って入りたい思い出があっても
許される気分になるという事
お互い様
持ちつ持たれつ

ありがとう  は またよろしくね
ごめんなさい は あなたが好き
冷たいの   は そんなに仲良くしなくてもいい
仲良くしたかったらやさしくすればいい

悲しみのなぐさめ方

やっぱり、「共感」に尽きると思う。
でも、それは本当に体験をしていなければ出来ない事。
想像や嘘で「共感」しても、何も癒されない。生まない。

昔は、「本」が、共感の場所だっただろう。
「本」の作者や登場人物に「共感」し、告白や吐露に納得する。

今は、ブログだ。

辛い体験を書いているブログが沢山沢山ある。
その中で、本当に同じだ、という部分を読むと、泣きそうになる。そして、何か癒される。
場面や立場、エピソードの順番など違っても、似ていて、回想して反芻して咀嚼できる。
もう一度、同じ場面を経験できると、そしてその時他者の目線を入れて昔の自分に共感できると、本当に癒される。
たとえば、「いいんだよ、泣いていいんだよ、それだけのことをおまえはされたのだから。可愛そうに。」といったのが、他者の目線だ。
その時の自分だけだったら、訳もわからずに、呆然と立ち尽くしていた場面で、そうやって「今の自分」に共感されると、癒されて、昇華できる。自然と。そして手放せるのであろう。その記憶を。

よく、育ったときの嫌だったことを親に直接言う、または心で言う、という親からの自立方法?が紹介されているが、それってどうやるんだ?となかなか実感を持って想像出来なかった。
が、しかし、上記のようなことだ。
似た場面を読んで、追体験すると、自然と過去の自分が持っていたであろう感情に、今の自分が持っている目線や肯定感を加えて、すっきり納得させてあげられる。
これで一件落着や。

すっきりした~。


コレカラも、自分の辛かった体験をブログ等で追体験して、色んな想いを昇華させていきたいと思う。
そして、すっきりしたい。

かおなし

自分の心の奥底にうごめいている気持ちを意欲を具現してあげなきゃ!

人からの評価、地位や名声、金を求めていても救われない、自分自身が。ちっぽけなじぶんが。
そんな外的要因じゃ満足できない。
自分という身体の箱に入った「命」が。「意欲」が。
聞いてあげよう。
ジブンの「命」「意欲」から。
耳を逸らすと、とたんに無気力になるよ。
評価や金より大事。
「命」だから。

相互性

親切にするのは
親切にされたいからであり
プレゼントするのは
何かをプレゼントされたいからである
ただ無意味に好意を(エネルギーを、生命力を、生命を、自分を)垂れ流しにする奴はいない。
皆、何かが欲しいのである。
何もいらない、なんて、仙人は、やはりいないのである。
だから無闇に受け取ってはならない。
やはり。
親切にされたら親切にしなければならないのであり、
それができなければ始めから断るのである。
できないのにもらうと、恨まれるのである、後で。
特に魅力的な若い女子は、やっぱり、信頼できない人とは関係を少しも作ってはならないのである。
通りすがりの人とか、電車が同じだけの人には、普通、何かされないのである。
一回付き合ったとか、関係性を作っちゃってから壊すと、逆恨みされる場合も、極たまに、万が一あるみたいである。ニュースを見てると。
だから、やはり信頼できる要素が揃うまでは、うっかり気を許さなくて、いいんだと思う。
すっごく美人さんは、初めから気を付けてるかもしれないが、普通の人も、相手から見て魅力的であれば危ないんだと思う。
なので、自己判断せず、もらいたくない好意は、受け取らない方が、私は正しいと思う。
これは、昔からニュースを聞いて思っていたことであり、書いてしまったが、話が逸れました。




話すのは話されたいからであり
黙っているのは黙っていて欲しいからである
でも
たまに思っているのに出来ないこともある
話したいのに話せないとか
とばっちりをかけたくないのに、
その辛さは知っているのにかけてしまったり。
この矛盾が、
嬉しいハプニングとなったり、
苦い経験になったりする。
そういうの抱き締めながら生きていくしかないんだナァ。
そして自分で選ぶ。
いいとこ取りは、できない。
迷惑かけてかけられる方を選ぶのか、
迷惑かけられずに自分も一人で頑張るのか。
田舎と、都会みたいだね。。。
前者は、縛り合って、うっとおしい。
後者は冷たくて自由。
どちらが好みか。

価値観の相違点

A大変なときも周りに迷惑をかけないで一人で乗り越えるのが文化の国。
B大変なときは助け合うのが文化の国。

Bは大変でAに助けを求めても助けてもらえない。
BはAが大変そうだと自然と助けてしまう。

AはBが大変だととばっちりをかけられて不愉快。
AはBに助けてもらったことに恩着せられて不愉快。

皆自分の常識に従って常識的に動いている。
誰も非常識なヤツはいない。
相手の立ち位置に立って見てみなければ。

そこは、未知の世界。
ここにあるのに見えない世界。
世界は73億色の色でできている。
すぐ、そこにある、異世界。
世界は一つだが73億通りに違った世界。
同じ世界だと思わない方がいい。
すぐ、そこにある冒険。
異世界への旅へ、旅立とう。
簡単さ、聞いていればいい、見ていればいい。
人は、同じじゃ、ない。始めから。

情けは人の為ならず(ジブンのため)
嘘は自分の為ならず(ヒトのために。)
人の為につく嘘は優しさ
自分の為につく嘘はわがまま

人は動物。

悲しみ=自分が大切にしていたものを知れる
恐怖=気を付けた方がいいこと
怒り=自分を守るためのもの
喜び=自分を生きさせるもの
喜びの方へ。
そして、これが道しるべ。
痛いと、血が出ていることに気が付く。
手当てをして、命を守れる。
悲しみ、恐怖、怒り、喜びも、
みんな
教えてくれている。
感情は、だいじ。
道しるべ。
頭は道具。
頭は使われる。
感情に。
感情が、動物としてどうしたらいいか教えてくれてる。
頭を利用しろ。
喜びの方へ。
頭で考えたことを信じるな。
感情あっての、装置。頭脳は。
うまく働かして、生かしてあげないと。