時間にルーズな人な私が考える、時間にルーズな理由と対策2

以前にも書きましたが。
今日思うところがあったので改めまして。

時間にルーズな一番の理由は、そのことで「失敗した!」と思う機会が極端に少ないからだと思う。

学校では、遅れたら怒られていたと思う。だから、「『学校は』遅れちゃいけない」と思っていた。
会社は遅れたらクビかと思っていたので遅れなかった。電車の都合で以外は。
友達にはあまり怒られて来なかった。
親にはそんなに怒られなかった。
彼氏には怒られた。
最近友人にもはっきりされる。
そうすると段々怒られたくないし相手も遅れない人とわかってるので遅れたくなくなってきた。
こういう、周りの環境で人って変わるもんだ。
でも、育ちはかなり影響すると思う。
毎日顔を合わせる親にまだ価値観のやわらかな子供時代に仕込まれる内容は吸収されやすい。子供時代口うるさく時間について怒られたことはほとんどない。最近口うるさい注意のできる友人ができた。そうすると、彼女ならこのタイミングで怒ってるハズ、彼女ならこの作業は省いたハズ、彼女なら…彼女なら…と、時間の度に彼女がやりそうな言動が思い浮かぶ。こんな彼女に育てられる子は、時間にきっちりしたお子になるだろう。それを考えてて気づいたのが、こういう、口うるさい人が周りに少なかったな、ということと、口うるさく言われる経験が少ないな、ということ。あることをしたら電気が流されて痛みを感じるマウスよろしく、ある条件になると口うるさく言われたり怒られる経験がもっとあれば、もっと時間についてうまくやれるようになるんではないか、と気づいた。


……そうだ!心の中にちっちゃいオバサンを飼おう!


そして自らちょいちょい時間についてダメ出ししてあげて、口うるさい役をやってやろうじゃないの。私にだってできないハズはない!!

と、考えを巡らせると同時に、やっぱり時間にルーズな人に困ってる人に言えることは「嫌な顔しまくれ」「口うるさく」「怒れ」ですね。

私も、彼氏に時間に関しては人生で初って位怒られて「おやおや???!」これって起こられることなんだなーと初めて認識し始めて、友人にもそういう人が出てきて、世間ってみんなそうなんだなーとやっと納得できるようになってきたクチです。
やはり怒ることで相手に気づかせたり、認識してもらえると思います。
でも、怒るだけじゃ怖いケド。
見捨てない雰囲気を出して言ってもらえると安心して頑張れます。次から。

これは、子供に対しても実行したい。

「怒る」のって嫌だな、って避けがちで、またなぁなぁにしやすかったですけど、怒ってあげた方が、将来のその子の為にはちょどよく。思いやり、というか。今は嫌でも言った方がいいことを言ってあげるって、正直な生き方ですね。目を逸らすんじゃなく。それが「愛」かもなぁ。

そして、「叱る」って、「叱る」=「怒る」+「見捨てないよ(ずっとみてるよ)」だと思いました。

先を見据えて、「ならぬものはならぬ」。
その場で優しいだけが、優しさじゃないんですね。

今向き

大家族のお母さんをTV で見ていたら・・・・
みんなちゃっちゃかちゃっちゃかしている
凄いなーと思う
何が違うんだろう・・私と・・
あ!あれだ!今しか見てない。凄い集中して頭使ってる。

それに引き換え私は考えるのは過去や未来のことばかり。とおい所の話ばかり。ぜんぜん自分の“今”のこと、考えてあげられてなかった。・・・・ごめん自分。


だから忘れ物も多かったり遅刻しがちだったりもしたんだねー。


“今”とか“ちょっとさき”の自分のこと考えたら、忘れ物したら可哀想とか遅刻したら居づらそうとか気を回せるもんだよね。ごめんなさいねーm(__)m自分。


こうやって考えられるようになったのも、「石原 加受子」さんの本を読んでから。


今までの自分は、自分の“敵”だった(涙)


何か失敗すれば、自分に文句をつけたり、大変でも、「でも頑張ろうよ」と言ったり。


本を読んで自分を味方してあげたり友達になる感覚かなと思った。
「失敗しちゃったね、頑張ってたのにね(涙)」とか「少し休もう、休んでもいいんだよ」とか、友人にならいつもかけられていたような気持ちを、自分に向ける。自分のこと、一番大切にして、よかったんだ。そう、安心できるきっかけの一つを教えてくれた。

それから、「今」がいっぱいになってきて、「過去」が薄れてしまうきっかけをくれた夫にも感謝。周りのお母さん達も言ってるけど、出産したら記憶力薄くなるって。出産とか「今」の出来事が濃すぎてびっくりし過ぎて(死ぬほど痛かったし実際死ぬ可能性とも隣り合わせだし)、過去の辛かったこと嫌だったことが風化してる向きもある。それに弱まった記憶力を掛け合わせる。わぁ。「今」ばっかり。
実際どたばてしてて過去のこと考える余裕もなかった二歳差育児もある意味良かったのかもしれない。それが少し一段落ついて、少し過去のこととかに心を傾けた矢先、疲れて弱まってしまった。けど今日大家族お母さんから教わった!“今”を見ろ、と。


実際、本当に今のことだけ考えて過ごせたら、どんなに気持ちが楽か。そして集中できるか。はかどるか。

多分頭は悪くないはずなのに、どうしてうまく時間配分やらやる気の維持やらなんやらかんやらが、育児のうまそうなお母さん方と違ってしまうんだろう、と思っていたけれど。
集中してなかったから。ってわかった。

それは、アラサー世代が働きながら子育てしてばんざい\(^_^)/共働きばんざい\(^_^)/をリア充としてるような雰囲気を感じ取って、その「トレンド」に乗れていないことへの焦りもあった私から、人の作った価値観は私の人生には関係していない、私がよろしければそれでよろしいし、私が最悪にしか思えないならそれは最悪だ、と小さな自分の人生を受け入れる気持ちが芽生えたからだとおもう。
どんなに成功しててもじぶんが心からわらえていなかったらだめだし。
それを思うと案外人生そんなに悪くなってない。
幼稚園位からなぜか子供はほしいと思ってたし本当はキャリアウーマンで頑張ってたかったイメージもしてたけど、他にもちゃんと心残りのある気持ちをすっきり解決して、楽しい家族♪とも思ってた。
この、心残りの解決、にけっこう取り組めている気がする。氷山を少しずつ溶かせている。それに、時間が風化させてくれることもわかったし、“今”に集中する以外にない、ってわかったし、これから、“今”を見て生きていこうと思う。未来はじぶんで作れる。積み重ねられる。積み重ねる“いま”を大事にしたい。

うしろ向き、でも、前向き、でもなく、今向き!
これからそれを積み重ねて生きたい。

それから、辛かったとき、感じてると辛すぎるから、逃げて守った。その手段として思考しがちになったのもある。し、思考して、頭の中をこねくり回してどうにかこうにか辛くない方向に持っていく理由付けや理屈も考えた。その遺産が、今の“思考”しがちな自分。もっと感じていきたい。考えを少しは手放したい。

人間、癖を変えるのは大変。
それは知っている。
鉛筆の持ち方を直すのも大変だった。
でもその先に未来が待っている、と思えるとなんとか近づいていける。

“今”を見ること
“感じる(思考を使わない)”

この2つをどうにかこうにか“癖”として定着させていきたい。

そのさきに
遅刻しない
忘れ物ない
自分を大事にできてる自分
ちゃっちゃかして
いまを楽しんで感じられてる自分

が、いるといいな。


“今”を見てたら、アレはああしたい\(^_^)/ってアレはどうすればいい?って自分から浮かんでくる。
やっと現実を受け入れられたようだ。
腑に落ちた。

浦島太郎~猫の恩返しから~

最近金曜ロードショージブリ特集でした。「となりのトトロ」「紅の豚」「猫の恩返し」。昔読んだ本を読み返すみたいに、自分の中の解釈が変わるかもしれない、って期待を込めて録画して見ました。(めちゃ主婦っぽいと自分で思う💦)子育てを経験してからじっくり見るのは初めて。

となりのトトロ」はざっくりとした話の印象は変わらなかったけど、細かい設定が気になりました。(お父さんがめいちゃんを全然構わないで仕事に熱中してる所とか(笑)。雨の日にお父さんを迎えに行って、めいちゃんが寝ちゃってさつきちゃんがずっとおぶって傘差してる時間が長くて重かっただろうな、偉いなぁとか。)

紅の豚」は子供の頃映画館で見たので、その時は全然意味がわかってなくてとにかくチンプンカンプン。顔がブルブルするシーンが面白かったことだけ記憶しています。その後も、TVで放送されてるのを見かけるも、やはり入れず眠くなって途中でダウン。今回初めて意味を理解しながら見れました。これは本当大人向けの映画っぽかったです。でも意味はそんなに掴めず。宮崎映画は、豚がよく登場するなぁ、とか飛行機本当に好きなんだなぁ、とか海賊がラピュタに似てるなぁ、とか女の人は宮崎さん目線だと男とは全然違って、やる気が出る源なんだろうなぁ、とか。

猫の恩返し」は、とにかく「浦島太郎」に似てるなと思いました。助けた猫に連れられて、宴に行ってみれば、帰れなくなってる、という。また、「猫の国」はいつでも昼間で、ここでの時間より現実の時間の方が早く進む、という設定とか。
「浦島太郎」は、亀を助けたのになぜ不幸になって終わるんだろう、とずっと疑問でした。けれど、「猫の恩返し」を見てメッセージが「自分の時間を生きる」だったので、「浦島太郎」も相手の時間にからめとられたのかな、と思うようになりました。また、ちょうど「浦島太郎」を考察する文章を読んでいて、その筆者の意見は「パーティーは楽しくて離れがたいけど、自分の現実の生活も大切に」という読み取り方でした。確かに、楽しい宴や盛り上がる友人との遊びの時間は名残惜しく離れがたく、後ろ髪を引かれる思いにかられた経験が何度もあります。そしてそういう宴の中で流れている時間や価値観と本当の現実の時間の流れや価値観とはズレがあるように思います。そこを表して警告したかったのかな、そういう教訓があったのかな、という思いに至りました。また、他人の生活に介入する(亀を助ける・猫を助ける)のは、世間的にはいいことだと思いますけど、本人の一番大事な家族を蔑ろにしてまですることじゃない、それは結局自分を助けてはくれない、自立して生きろ、ということなのかな、と思いました。「猫の恩返し」でも、トラックにひかれそうになりながら猫を助けましたし、「浦島太郎」でもいじめていた子供たちにお金をあげてまで亀を助けました。関係の薄い他者を助けるのに比べて、もしかしたら失うかもしれない代償が大きすぎる、ヒーローにはなれても、自分の幸せには繋がる行為ではない、ということを示しているようにも思います。自分の幸せを支えてくれている存在(家族など)を大事にし、出すぎた真似をしない、一生き物として自分も相手の命も大切だからこそ、同じ生き物として平等だからこそ自分の命=時間を大切にすること、身の程を知ることが大事、そんなようなことを教えてくれてたお話なんだなぁと改めて捉え直しました。
神様じゃないので。お話のヒーローはカッコいいけど、普通それ死ぬでしょ、ってとこで無傷なのがヒーローなので。普通の人間はヒーローを目指さず、地道にコツコツ自分の人生に精を出すのが一番まっとうなのかもしれない。
そう思わされた「猫の恩返し」からの「浦島太郎」の考察でした。

追体験~時代や空間を越えた共感~

DVD や単発のドラマを最近見るようになって感じること。
追体験だなぁ、と。
映画や本の作者は、何を考えているのか分からないけれど(興味があるので調べよっかなぁ)、見るとまるで自分が体験したかのような気分になるものがある。あぁ、これを体感して欲しくて、時代と登場人物の立場やキャラクターや発言を決めて、沢山の人の目に留まるように人気の俳優を選んで演じてもらうんだなぁ、と。理解してもらいたい感情や事柄があるんだなぁ、と。世間に知られていない事柄を知ってもらうためであったり、それでその事柄に対する態度を変えてもらう為であったりする。ちゃんと、動機があって作られているのだ。ちゃんと意味があって、その設定でその配役でその言葉なのだ。選んで選んで。
それが、渦中の人には共感(私だけじゃなかったんだ、そういう体験してるの)になったり、その周りの人には理解(そういう背景でそうなってるんだぁ)になったりする。
そして明日からの世界や一人一人の選ぶ意見・未来が変わるかもしれない。
変わって欲しい、そんな願いを込めて作られた物語を見ると、それを作りたかった作者の背景も気になる。


そう思っていると他の人と共感できるんじゃないか、と自分の中に押し込めておいた感情を解放したくなる。
言語化することによって、時代も場所も離れた誰かと、共有・共感できるんじゃないかって。それは、その人の励みにもなるのかもしれないが、最初に、私の励みになる。辛かったことが、私だけのものでなくなって、誰かと繋いでくれる糸になる。それはそれで、ちょっと幸福なことではなかろうか。

インプット

わりかし本が好きで、読みたいものは読んで今まで来た。

けど、今DVDとお笑いが来てる。

父が嫌いだったお笑い。

お笑いと映画のDVD を見てると、また違った視点で現実世界を見せてくれる気がする。

きっと、小説書くのは暗い人。

暗い人が悪い訳じゃない。

私も本が好きで暗い人。

けど、本書いたりするような人は、スポーツバンバンやって仲間とグイグイ飲んで、みたいな人じゃないと思う。そんな人はわざわざ本を大好きになったり、本を書かなくても人生回して行けるはず。

だから、本からのインプットは、そういう人じゃない視点、って傾向があると思う。

だからお笑いからの視点や間の取り方や空気を読む力に、魅せられる。

持っていなかった武器、もらっちゃった感じ?装備しちゃう?まだ飲み込めてないけど。

映画のDVDからも日常の切り取り方で、作者や監督の思ってる普段や日常が垣間見られる。それが、自分と違うので、自分がよりハッキリと認識できる。世界とのズレを怖がっていたけれど、それを感じることで、自分という人間が見えてくる。自分探しって自分を掘り下げてくんじゃなくって、他者をより知ることで、その間にある境界線をはっきりさせていくことじゃなかろうか。

この、他者を知り、自分を知る、認識の変化が、意外と楽しい。
中学生位以来の、現実を生きてる疾走感。
やっぱり、RPGみたいだし?


これって、現実の人付き合いにも応用されることじゃなかろうか。

自分と似たファッションの、自分と似たパタンの、人としかつるまないんじゃなくって、自分をしっかり持った上での、全然種類の違う人との交わり。それってきっと面白いことなハズ。
それをしてそうなあの人と、今気づいてそれを始めようとしている自分との、差。
普段なら敗北感を感じそうなこの出遅れ感にも。
これも、また、味。
私は、やっとここいらでそれに気づく人間です。
でも、それでいいのです。
違うのだから。
生まれたときから。

ブログを書く意味。

名もなき人の、名もなきブログが好きだ

だから私もブログを書く。

ある、一人の経験者に、助けられたことがある。

ある、一人の思い付きに、勇気をもらったことがある。

ある、一人の閃きに、行動への衝動を起こしてもらったことがある。

だから私もブログを書く。

ただの垂れ流しでも。

RPG の『賢者の書』みたいなもんだ。

無数にあるブログやCOOKPADのレシピや食べログのコメントに、めちゃめちゃ助けられて人生を歩んでる。

孔子が、こういった、みたいに全ての文が有用な訳じゃない。訳じゃないが、参考にしたいものも、とてもある。

東京電力的な会社

東京電力的な会社は、ちょっと信じられない。
始め、安全ですって嘘付いて原発とか作って。
作ったばかりの時は壊れないから、儲かって儲かってしかたなかったんじゃないかな。
社長から社員まで、待遇良かったんだと思う。
でも敷設からずいぶん経ったら、壊れ始めること、予想してたんかなぁ?
交換費用とか、耐久試験とか、もし壊れたらの試算とかしてから、儲けの分配と享受をしてほしかった。

今になって、足りないから、使ってる人多めに払って下さいとか、事故起きます、とか、やめて欲しい。もっと賢くなって。
信じていたかったよ。


単に一企業で、片田舎のつぶれそうな商店みたいに、商店主の思いでどうにでも変わっちゃう、けっこういい加減なものだったんですね。大企業って。