3歳差育児のススメ

じゃん!
お久しぶりです。みなさま。
え?誰?誰に言ってるの~!?
独り言です。
じゃん!
どうも~blog主です!!
誰にも言われなかったのであえて言います!
子育ては3歳差がいいよ!!
本当に。
正確には3歳差以上?
しらなかったケド。
言われたかったわー、だれかに。数年前。
だから言います!エッヘン( ̄^ ̄)!←謎
3歳差、オススメですよ~!
そこの姉ちゃん買ってきな。
3歳差がいいんやから。
あのねー
独断と偏見に基づきますけどねー
本当におススメです。
【歳が近いメリット】
・子育てが早く終わる
・兄弟が一緒に遊んでくれる
・ママの出産可能年齢を温存できる
【歳が近いデメリット】
・しんどさが2倍
・上の子が頼りにならない
・上の子への頼みごとは通用しない
(寝そうだから静かにしてね~とか。)
・歩けない子二人
(ベビーカーと抱っこ紐、ふだんは歩くけど疲れて寝るときもあるとか)
【歳が離れるメリット】
・上の子が小学校や幼稚園に行ってくれている間、ママと赤ちゃんで過ごせる
・上の子が頼りになる
【歳が離れるデメリット】
・子供同士の盛り上がる対象が別
・小さい子がいる期間は長い
・上の子がトイレも眠気も我慢できる年なら一人分の心配で出掛けられる


・・・
子育ての年数は減らしたい!
でも大変なのはイヤ!
って間を取っていくと、3歳差がベストに思われます!!!じゃん!
3歳差のママには聞いてもほとんど大変さを感じられない。大変とは言っていても、表情や服装や色んな所にまだまだ余裕を感じられる。
2歳差のママは、取り乱しているし、独身の頃どんな雰囲気だったのかわかない位何かを諦めてる、服装も整え切れない。何かを擦り減らしながら、今日をなんとか乗り切っている。
と、個人的には感じました。
ここに、個々の環境、例えばパパが協力的+5てん、実家の母が近くて協力的+5てん・・・などを加味して、いけそうなら、ぜんぜんどうぞ!
ですが、パパが非協力的、両親が共働きで手伝いは見込めない、実家が遠い、などママ一人で乗りきらなければ行けない場合、とても負担が大きいです。
小学校入ったら楽だよなんて言葉が届かないくらいに。
私はしんどすぎるときは、毎日、早く過ぎろーと思っていました。
時間が解決してくれるのを待つしかない。
それか人に頼るかお金に頼るかです。
とにかく、小さい子の面倒には手が掛かる!
侮ってはいけません。
本当にしんどいです。
2歳のイヤイヤ期と生まれたての赤ちゃん。
4歳の遊びたい盛り(しかもまだ道理を理解してないファンタジーの世界の住人のちょっとうちゅうじん。人を装っているけれど。)と2歳のイヤイヤ期。
遊びたい盛りに付き合う、冬の抱っこ紐赤ちゃん連れの公園。
赤ちゃんいるから、公園に行かない!と割り切れる方、4歳いるから公園に赤ちゃん長い時間いても大丈夫!と言い切れる方、そう!割り切れる方には大丈夫かもしれません。心配してしまったり、思い切れないと、なかなか精神的にもつらいものがあります。
案ずるより産むがやすし
ですが、産んだあとのバタバタは、できる限りリアルな先輩の愚痴などを手に入れて、ちょっとでもシュミレーションできたらいいんですけどねー、まぁその状況になってみなきゃわからない、って部分も大きいと思われます。
しかし、先達の言葉を聞いてもらえるなら・・・
2歳差はやめておいて。
3歳差がお勧め、3歳差の先達もすすめてたよ~



おしまい。
※これは老婆心から出た独断と偏見による主張です。ご注意ください。

食べたいものが食べたい💕♥

手作りするなら

豚汁 肉じゃが 麻婆茄子 野菜炒め
おでん お鍋 ハンバーグ オムライス

みたいな。

片寄った手作り品の代名詞がオンパレードだった。


今日LINEレシピで見かけたチョコバナナパイとか


カフェで見かけたら絶対買いたい。いや買っちゃう


食べたいってことじゃ~ん


作るメニュー、そういうチョコとかジャンクっぽいのとか、半端な残りもんメニューとかも蟻じゃんね♥

かたーく、マジメニ考えてたな~😓


関係ないそういう日常の縛り、もっともっと弛めてほどいていけたら。

いいなぁ。

家族で居続けること

好きな人 は 距離感を持って お互いを見合って好き。

家族は運命共同体で同士で同じ責務を持つもの同士で近くて近くて近い。

近くにいてもいいな

他の人は有り得ないな

と思えたから家族になれてる。

でも近すぎて格好つけられない。
赤っ恥。

そこのへん、見ないフリしたり、好かれてないと拗ねて斜にかまえたり、開きなおって気にしないできたけれど。

好きってことはすきってことで。

で、悪い部分も相手に与えちゃうことで。
与えたくないけど。
それもひっくるめて自分だから。
そんな嫌いな自分も、一応ひっくるめて認めてもらって、今家族。子供は親を選べないから、選んで来てくれて居てくれるわけじゃないけど。いいぶぶんもわるいぶぶんも、両方。
そう思うと、自分で自ずから進化したくなってくる。
私の進化は、周りも捲き込む。
だって影響し合える距離感に居るから。
だからがんばろう♪
みんなのためにも。
じぶんのためにも。
求めてることは、差異あれど同じ人間。
まぁまぁ似かよってくる。
嫌なことも然り。
昔から言われていることやよしとされていること、宗教や習慣で教えてくれていることは、皆がハッピーに暮らせるための手段と思う。他にも手段はあれど。手段の一つ。風水や季節の行事や。
そういうの、大事にして行こう。
そして学ぼう。
諺なども。
よくある例を教えてくれてるに違いない。
鵜呑みに丸飲みするんじゃないけど、じぶんの考えを織り込むときに、そういう色を織り混ぜて行きたい。


やること(内容)は新しくても。


やってること(どういう意味でやってるか)は昔ながら同じ。


そういう風にわたしはなりたい。


淡々と。


そして、そんなだから。


一人じゃない。


自分のためにはがんばれない。


興味ないし。本当に。


そう思ってたんたんと日々の業務に邁進できるひとになります。なりたいです。たんたんと日々の業務に邁進できる人になれますように。


そして美味しくビールやコーヒーが呑めますように。

大さじの普遍性

大さじ1とかの、大さじ。
いっつも薄っぺらくてすくいにくいなぁと思っていた。そもそもスプーンなのになぜにあんなに薄いんだ。
100均でぷっくりしたかたちの大さじ・中さじ・小さじ・小さじの半分・そのまた半分のセットを見つけた。
使ってみると、ぷっくりした底にお砂糖とかが溜まって出てこない。
いつものあの薄っぺらい大さじでは、出てこないなんてこと1度もなかった。寧ろ、薄っぺら過ぎて、留まるような引っ掛かりもない。
また、スプーンの裏側と柄の境目も薄っぺらいが故にあっさりしているので、そこにも何も留まらない。
至極、理に叶った計算された美しいかたちだったのだ。

幾度となく不思議に感じていた薄っぺらいかたちの大さじであるが、やはり普及しているもの、長年使われているものには、そのかたちである理由があるのだなーと感心した一夜でした。

かたづけ

片付け。
片付け。
カタヅケ。
長年、「カタヅケ」だと思っていた。
何の疑問も持たずに。
今、ひらがなで書くとしっくり来る、という意味もない私のいわゆる「マイブーム」で、「かたづけ」と明記してみて気付いた。
「かたをつける」の名詞形ね。
「かたをつける」ことだったのね。
「のりづけ」が「のりをつける」の名詞形のように。
「カタヅケ」だと、やりたくないな~。
と、思っていたけれど、「かた」はつけたいなぁ。
すっきりしたい。
漢字って短く書けるし意味もそのままぴったりだし便利だなーと思ってきたけれど、ちょっと日本本来の語感と違う当て字もあるのかもしれない。

話はもどり、…いや脱線。
「もどり」の「もどる」だって、「もど」と「る」に分かれて、「もどす」➕「現在進行形」だと思う。「てんぱる」「告る」「パクる」「はしょる」「モスる」「きょどる」も似てる。
「そのまま」も「その」➕「まま」。
状態を表す「まま」と「その」。


ようやく戻って、かたをつける行為は格好いい行為ですよね。勇んでやれそうだし、終わっても責任感や満足感を感じる。かたづけに持ってたイメージとまるで違う。
かたづけを取り仕切れるのってなんかかっこいい♪
片付けをひらがなで書くことで私的にプラスのイメージが付加されました。

ひらがなしっくりくる。

やまとびと。

大和人かやまとじん、より、やまとびと、の方が理解がしやすくしっくりかるし腑に落ちる。

音読みより訓読みの方が日本人にはしっくりくるのではないだろうか。

過去をこえろ

過去、つらい事があった時からずっと、過去ばかり見て来た。
つらい時にそれに振り回されて誤った判断をしないように思いとどまった。
と、思っていた。
少なくともその時は。
でも違った。
一回越えればいいんじゃなかった。
判断は続いてく。
毎日毎日の、生活の、中で。
それが、生きていくということの紛れもない事実。
つらい気持ちを歌った歌や物語に共感し癒される度に、「自分だけじゃない。」と知った。つらい気持ちを知ることで、共鳴し、癒される部分はある。
でも、それだけじゃダメだ。
やっぱり、暗い気持ちから芽生えたモノは暗い。
共鳴こそすれ、ヒカリを新しく産み出す物ではないと思う。
自分の中にもヒカリと暗さ両方あると思う。
フォーカスするのは、ヒカリに。
ヒカリにしよう。
過去に色々あった。
色々あったから生み出せるモノもきっとあるだろう。
けど、過去の自分の嫌だった記憶に、私の人生の舵取りを支配されたくはない。
嫌だったことは嫌だったことの箱に、そっと、しまっておく。
そして、時々振り返ってみれば、きっと今まで見た映画や小説や歌の歌詞のように、経験が増えるに連れ、その色合いや意味は変わっていくのだろう。

嫌だったことも私の一部だから、それを踏まえての判断も間違いじゃ無いのかもしれない。
けれど、私の身体がそれを嫌がっている。
きっと。
きっと、それがあったから今がある、という美談にパーツとして組み込みたくないのだろうと思う。
それが、あっても無くても私はこうだった。というのを現実にしたいのだ。
それを、私は求めていない。
嫌だった記憶なのだから。
それに、惑わされたくもないし、関心も持ちたくないし、一ミリだって動かされたくないのだ。私を。
私はそれに動かされることを許さない。断る。
ただ、それだけ。

そして元々歩みたかった道を歩こう。
お供は、強くなって帰って来た自分と。
仲間は今の家族。
自分自身がガイドでプロデューサーで援助するサポーター。

人が信じてたからって自分も信じるのは、辞めよう。
いい、大人なのだから。
私は、私の、判断力に、考え方に、良いと思う事に準拠します。
私は、私の、良心に基づいて行動します。
それは決して人に教わったことの通りではありません。
教わった中で、良かれと思うものは良いとし、人の意見では良い行いでも、自分の判断と違ったら、自分の判断力を信じます。

ドラえもんについて

のび太は出来がわるい。
出来がわるいけど優しいし友達思い。そして初対面の生き物に親切。
のび太はいつも失敗ばかりだけど、ここぞというときは失敗しないし、いつもハードルを下げに下げているだけに、期待もされていないから、普通にしっかりやってくれるだけで、「スゴい!!!」となってGAPが凄い。
ドラえもんのび太はちょくちょく昔に行って世の中を変えているから、本当はもう時空パトロールに捕まっててしかるべき。
スネ夫は憎たらしいけど、情報や知恵も持っていたり、何かに気づくのが早かったりする。ジャイアンは力強くて、平和なときはジャイアンが強敵だけど、いざ有事の時には最強の力強い味方。しずかちゃんは可愛い。
のび太にとって最強のメンバーでは。
結構バランスの良いパーティーなのでは。

のび太はいつもは落ちこぼれでやる気もなく得意なこともあやとりしかない。

そんなのび太が、ドラえもんがいることで皆より遠くに行けたりいい思いができ、自分で頑張らなくても優越感が持てて劣等感を無視できる物語。






誰しも失敗したり、自分に自信のないときもある。




そんな誰もが、劣等感を刺激されずに、主人公ののび太目線で、励まされいやされる、処方箋のような、都会のオアシスのような、オレだけの優しい彼女のような、おふくろさんのような、砂漠で見る蜃気楼のような、日常生活からの小休憩のような、夢みたいなプレゼントのような、安心して見られる物語なのである。ドラえもんは。


誰しも大切にされたい願望がある。
それを、赤ちゃんのような自分(のび太)でも受けられる、そんな疑似体験の物語である。





だから、そんな、夢みたいな物語であるアニメを、アニメばかりを見て生きてしまっては、世の中の見方が変わってしまうかもしれない。日常生活あっての、小休憩。そのバランスを忘れずに、日常生活に取り組んで行きたい。そして子供も、やっぱりアニメやTVばかり見ていては、ダメだ。と悟った、ドラえもんに関する思いを巡らせてみたこと、でした。















そして、誰もが誰かに頼って楽に生きていきたいはず。(そうじゃない人もいるかもしれない。)
でも、頼る側は、楽で楽しいけど、頼られる側は、大変かもしれない。。
でも、自分も凄い人や優しい人が、好きなように、周りの人だって、誰かに頼らないと立てないような不安定な人より、安定して自立して、周りにお裾分けできるくらいの人が好きなのだ。
いつも、優しくていい人のフリを演じるのはツラい。
でも、確信犯で、ちょっとツラくても、そういう頼りになる人になってみたい、やってみよう、っていう素直な子どもみたいな気持ちも、大切かもしれない。
勿論、不特定多数の為に自分のキャラクターの為にではなく。
好きな誰かの為に、自分自身楽しむ為に。
そういう、自分の持ってる能力のシェア、って子どもの時に感じたわくわくの延長と思う。

ソレ、やってみよう。
失敗しても、いいから。


そして、弱い者でも受け入れられて認められる世界、そんな世界が人は好きなのかもしれない。
魚が群で動いて全体の生存率を上げているように、人も色んな人を認めることで、全体の生存率を上げる、という意思が働いているのかもしれない。