私は年を取った時、家庭か仕事残るならどっち?の思いで家庭を選んだ。年老いた老婦人が家庭か仕事かどちらかしかなかった場合どちらがより幸せそうに見えたか、を参考にした。勿論、どちらも、が本音だし、どちらも、の老婦人が一番幸せそうだろう。けど、最悪を考えて、どちらか、で考えた。自分が少数のどちらも手に入れた幸せな人に入れるとは思わなかったし。(少数に入るためには、かなり幸運で恵まれているか、かなりの用意をして、練って練って用意周到に準備をしたか、どちらかでなければならなかった。)
女性は「仕事か家庭か」を強制的に選ばされる場面が多いように思う。(どれでも個人の嗜好なのでどれが一番いいとは言えないのは分かってます。)
給料かこどもとの時間か、お腹の赤ちゃん優先か仕事の継続優先か、夫の転勤に付いていくか仕事を辞めるか。
それを、女は仕事やめれるから楽だなと、思われるかもしれないが、辛いよ、それもそれで。
思うに、子供にとっての父って、ちょっと遠いし、お金って必用不可欠で無ければ生きていけないけど、代名詞であって、固有名詞でない気がする。その、お金とか、その、仕事である必要はない。お金があれば何でもいい。女性にとって、日本をどうするかとかどういう歴史を残すか、とかよりも、自分の子供をどうするか、の方が、大きい問題だと思う。男は、日本をどうするとかどういう歴史を残すかを頑張れば、お金も付いてくるだろうし、妻も理解して子育て頑張ってくれて、いい子も残せるだろう。けど女は?日本をどうするかとかどういう歴史を残すかとかがんばっちゃって、子とか夫を省り見なかったら???子が反発して問題起こしそう。子は、どんな親でも注目されたり時間を割かれたい。子にとって親の替えはきかない。頑張る父には子育て頑張る妻がいるはず。けど頑張る妻に子育て頑張る夫はまれ。やっぱりどっちかが第一線を退かないと、子を育てられないと思う。どっちも退かないなら、お金で他人に頼むか、親など肉親に頼むか、どちらか。その場合も、昔から仕事にあたってきた男は悩まないけど、女は罪悪感を感じる。罪悪感感じるってことは、やっぱり女は子育てが気になるように生み落とされてるのではないかな。でなかったら、感じないはず。男だって妻がいなければ、同じ悩みにぶち当たる。シングルファーザーは、仕事頑張り過ぎると罪悪感感じちゃうかも。その点からも、やはり結婚したら男は仕事女は子育てって最初から主な分担決めちゃってるのかな。最初から、男は子育て女は仕事って決まってたら、男も罪悪感とか選択に悩んだりとか、今の女性の悩みを感じるんだろうな。