戦争を終わらせるために仕方なかった

もしものもしもですが。
もし日本人が先に原爆を発明して戦争を終わらせるために仕方なかったという理由で他国に使っていたとしたら、納得できるのですか?
自国民が殺されるのは嫌で他国民ならいい。
戦争は、そういうもの、かもしれませんが、あんな死にかた、わずかばかりでもしたいですか?されたら許せますか?
そんな兵器、もう過去のものでなくなってしまっていたならいい。
現実にあるし、攻撃したら、攻撃されると皆思っている。
その、内容について知らなくていいんですか?
自分がするかもしれないひどいこと、自分がされるかもしれないひどいことの実際を知らなくて、決断していいんですか?
奇襲はひどいと思う。でも奇襲したこと一度もないんですか?
その現場に行くのは、他の元戦地に行くのと変わらないと思う。
現在実際に持っている武器の威力と悲惨さを実感しなくていいんですか?
日本はまた奇襲すると思いますか?
しませんと言えます。
アメリカはまた核を使う日がないと宣言できますか?
しませんと言えますか?
言えませんよね?
だからヒロシマに来る意味がある。
対岸の火事じゃなくて、実際に我が身に降りかかってくる火の粉として実感して、核がどういうものか知ってほしいです。
日本人の願いは(代表じゃないので私の意見ですが。)、核兵器がどんなにむごいものか実際に肌で感じて貰いたい、ということと、アメリカに限らず、世界のどの国もが、核は使わない、と宣言し実現してほしいことのみ、と思います。
戦争でお互いに殺しあった。
だから酷くて本当は謝罪されたい気持ちもあるだろう。それは、どの国も同じ。でも、それはお互い様の部分もあるだろう。謝罪されたら謝罪しなきゃいけない、お互いにひどいことをしていた。
違うのは「核兵器を使った」ということ。

あやまちは二度とくりかえしませぬから

という気持ちに、全世界の人になって貰いたい。
(そうでなけれ我々はみな生きてはいけない)

それを共有してくれたオバマさんには、やはり感謝したいと思う。

戦争どうのこうのより、核兵器のひどさ、もう使わないという約束をもししてくれれば、他に言いたいことはないと思う。(私は)

ここに、日本人が愛するスタジオジブリの「天空の城ラピュタ」の名言を紹介しておきたい。


【土に根をおろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春をうたおう。】

【どんなに恐ろしい武器を持っても、・・・たくさんのかわいそうなロボットを操っても・・・土から離れては生きられないのよ!!!】

私たちは動物であり、ごはんを食べなければ生きてはいけない。それはアメリカ人でもロシア人でも中国人でも同じ。
ごはんを作ってくれるのは、海・土・川・人々。
核兵器を使って海・土・川が汚染されてしまえば、だれだって誰一人として生きてはいけない。
大統領や王家や貴族も、その下に沢山の人々がいる頂点に立っているから、食事調達(栽培、捕獲、整備、採集)に日々の時間を費やさなくても生きていられる。
農業や漁業に携わる人々と、海・土・川なくして、人間は生きていられない。

【国が滅びたのに、王だけ生きてるなんてこっけいだわ】

王だけが生き残ることは不可能なのだ。
そして、王だけが生き残ったら、それはもう王ではない。







戦前の日本のように孤立しないように、北朝鮮にももう少し歩み寄らなきゃな気もする。
独裁国家だって、人の国なんだから、口を出すのはおかしいと思う。
気に入らない国だからひどく扱うって、差別じゃない?
日本はもっとそれぞれの文化に寛容な国だと思う。
キリスト教イスラム教も否定はしないし尊重するけど、日本人の文化にも否定はしないで欲しい。
それぞれがそれぞれでいいと思うというか。
アメリカなどの食文化についてはアメリカ人が決めるべきで、日本人の食文化は日本人が決めるべきだと思う。それについて外国が禁止するのはおかしいと思う。私たちは、そちらの食文化を禁止してはいないのに。

北朝鮮のお偉いさんを、ただの人だと思ってバカにしているが、日本の天皇だってただの人。
その国の指導者を外国が勝手にすげ替えたら、ただの侵略。選ぶのは、その土地で生きる人々。
日本の江戸時代もお偉いさんの一存で人が虐げられていただろう。それをおかしいと外人が来て統治したら、おかしい。その国の伝統と文化は、筋が通っていなかろうが、尊重するべきだと私は思う。