日本人はいませんでした。の意味。
幼かった私はTHE YELLOW MONKY の「JAM 」の歌詞「日本人はいませんでした」に、大共感。何で日本人がいなきゃいいって言ってるんだと大憤慨。ニュースでそのワードを聞くたびにいつも憤っていました。
でも。今は、それは違うと言えます。
それは、日本人を指してるんじゃなくて、特定の誰かを指していることば。
現地にいるはずの、パパやママや兄弟や祖父や息子や娘や友人が、巻き込まれていない。ということ。
全国に事実を伝える報道だけど、まさにそこに関係している人に、その人々はいませんよ、って伝えてる報道だと思う。それ以上でも以下でもない。現地のひとは巻き込まれていいって考えでもない。
そういうことだと私は思う。
それを「いませんでした」って他人事のように扱ってるんじゃない!と憤ってた私。
自分の大切な人がそこにいるはずがないからこそ、それこそ他人事のようにそのワードに憤慨できるんだよ、と今は思います。
日本国内に正に当事者で肉親が巻き込まれたかそうでないかが死活問題となっている、そんな状況の人がいるなんて思いもつかなかった、人の立場がわからなかった、幼かった私なのでした。
思春期時期の思い込みって怖いですね。
そしてエネルギーも溢れる時代だからこそ、事件も起きる。
私は思い込んだ内容が、どう対処すべきものかよくわからない内容だったからよかったけど、友達同士の揉め事や親族の勘違いを思い込んでいたら。
思い込みを解くきっかけや自分の思いだけに囚われないようにするってどうしたらよいのでしょう。
LINE で集団リンチ的なことを報告する若者のニュースに、周りが見えていない感、思い込み感を感じる私は疑問に思います。