映画ネバーランド~Finding Neverland~を見て。~切なく淡い素敵な物語のファンタジーにやられたい時に~

【↓ネタバレあり注意↓】 



 童話の本当の意味が気になって調べているうちに「ピーターパン」が作られるまで、を知り、その流れでその物語の誕生のノンフィクションを扱うこれが見たくなった。
 また、気分転換したいけど、お涙頂戴ものや恋愛もの、サクセスストーリーなど見え透いた話は見たくなかったので、丁度良さそうに思えた。
 結果、成功でした!


 話は、イギリスのロンドンで劇作家をしているジェームズ・バリが、ある未亡人とその四人のこどもたちと出会うところから始まる。家族とバリは、楽しい時間を重ねる中で信頼を深めていく。こどもたちと「なりきり遊び」をし、こどもの世界と大人の世界を行ったり来たりしながら、「Neverland」が登場する「ピーターパン」を作り上げる物語だ。
 


 劇「ピーターパン」は、父を失い心を閉ざした少年ピーターに、現実に打ちのめされるんじゃなく「信じてみる」こと、「わくわくする気持ちを捨てないこと」を伝えようとしている気がする。
 ピーターの母も、そういうことを大切にし、同じように生きるバリのことも大切にしていた。


 現実から求められる「あるべき姿」ではなく、「信じたいものを信じる」「自分の気持ちや世界観を信じる」こと、それを大事にすることを勧められている気がする。


 実際には現実を生きているのだから、「信じたいものを信じる」なんて言ってられないかもしれないが、こころの片隅にでも「Neverland」を置いてやり、「こどものこころ」を生かしてやって、たまには覗いて見るのもいいかもしれない。


 この話を見ていてなぜだか涙が出るのは、「こどものこころ」をなくしかけたピーターに「こどものこころ持っていて」と色んな方法で語りかけるバリとピーターの母の愛を、ピーターを通して体験してしまうからではないだろうか。


 ストーリーが泣かせよう泣かせようと追いかけてこないのに、ちりばめられた愛や励ましや信頼に応える中身に、じんわりと当たってしまう。



Neverland=こどものこころ=「信じたらそうなる」と信じていられる世界、現実に支配されていない世界、夢中に楽しめた世界、こどもの頃に感じていた世界観、だと私はこの映画を見て思った。

 誰もが生まれた瞬間には持っている、けれども現実に剥がされていってしまうそんな「こころ」。

 作中では妖精は最初の赤ちゃんが生まれて初めて笑ったときに生まれました、でも妖精なんていない!とこどもの誰かがいう度に、一匹ずつ死んでしまう、とあります。
 妖精も、わくわくしたこどものワクワク感を表しているのでしょうか。
 

 バリの結婚していた奥さんは、夫の心が離れて行くことを見つつも、止められないし、その結果できた物語ピーターパンを素敵な物語と認める。
 未亡人の娘の母は、現実を知っているのでバリと娘の関係を断ち切ろうとするが、最後にはバリとこどもたちとの関係を認める。
 現実世界を代表しているような彼女達も、決して悪者ではなく、いいもんだ。


 登場人物がすべて悪者ではなく、淡い優しさにこころがスッキリしてしまう作品!


 私的には、スノー婦人の「時間と言う名のワニに追いかけられているんですもの」という発言が目から鱗でした。
 そうかー、そういう解釈があったかー。
 確かに。

 ジョニー・デップは、ファンタジーが好きなんですねー。私「ショコラ」もすきでした。
 「チャーリーとチョコレート工場」ほどごてごてのファンタジーじゃなくて、ファンタジーだけど現実をテーマにしてるのが一緒。
 悲しい人を取り上げて、それを解決してるのが一緒。
 優しい物語だから、自然と癒されて涙も出てきてしまう。
 泣かなきゃいけない物語がこれでもかこれでもかと畳み掛けてきて、泣きつつも、なんか心んなか癒されない、ただ泣いてるだけだなーと思っていた私と同じ様な方にオススメの映画です。