浦島太郎~猫の恩返しから~
最近金曜ロードショーはジブリ特集でした。「となりのトトロ」「紅の豚」「猫の恩返し」。昔読んだ本を読み返すみたいに、自分の中の解釈が変わるかもしれない、って期待を込めて録画して見ました。(めちゃ主婦っぽいと自分で思う💦)子育てを経験してからじっくり見るのは初めて。
「となりのトトロ」はざっくりとした話の印象は変わらなかったけど、細かい設定が気になりました。(お父さんがめいちゃんを全然構わないで仕事に熱中してる所とか(笑)。雨の日にお父さんを迎えに行って、めいちゃんが寝ちゃってさつきちゃんがずっとおぶって傘差してる時間が長くて重かっただろうな、偉いなぁとか。)
「紅の豚」は子供の頃映画館で見たので、その時は全然意味がわかってなくてとにかくチンプンカンプン。顔がブルブルするシーンが面白かったことだけ記憶しています。その後も、TVで放送されてるのを見かけるも、やはり入れず眠くなって途中でダウン。今回初めて意味を理解しながら見れました。これは本当大人向けの映画っぽかったです。でも意味はそんなに掴めず。宮崎映画は、豚がよく登場するなぁ、とか飛行機本当に好きなんだなぁ、とか海賊がラピュタに似てるなぁ、とか女の人は宮崎さん目線だと男とは全然違って、やる気が出る源なんだろうなぁ、とか。
「猫の恩返し」は、とにかく「浦島太郎」に似てるなと思いました。助けた猫に連れられて、宴に行ってみれば、帰れなくなってる、という。また、「猫の国」はいつでも昼間で、ここでの時間より現実の時間の方が早く進む、という設定とか。
「浦島太郎」は、亀を助けたのになぜ不幸になって終わるんだろう、とずっと疑問でした。けれど、「猫の恩返し」を見てメッセージが「自分の時間を生きる」だったので、「浦島太郎」も相手の時間にからめとられたのかな、と思うようになりました。また、ちょうど「浦島太郎」を考察する文章を読んでいて、その筆者の意見は「パーティーは楽しくて離れがたいけど、自分の現実の生活も大切に」という読み取り方でした。確かに、楽しい宴や盛り上がる友人との遊びの時間は名残惜しく離れがたく、後ろ髪を引かれる思いにかられた経験が何度もあります。そしてそういう宴の中で流れている時間や価値観と本当の現実の時間の流れや価値観とはズレがあるように思います。そこを表して警告したかったのかな、そういう教訓があったのかな、という思いに至りました。また、他人の生活に介入する(亀を助ける・猫を助ける)のは、世間的にはいいことだと思いますけど、本人の一番大事な家族を蔑ろにしてまですることじゃない、それは結局自分を助けてはくれない、自立して生きろ、ということなのかな、と思いました。「猫の恩返し」でも、トラックにひかれそうになりながら猫を助けましたし、「浦島太郎」でもいじめていた子供たちにお金をあげてまで亀を助けました。関係の薄い他者を助けるのに比べて、もしかしたら失うかもしれない代償が大きすぎる、ヒーローにはなれても、自分の幸せには繋がる行為ではない、ということを示しているようにも思います。自分の幸せを支えてくれている存在(家族など)を大事にし、出すぎた真似をしない、一生き物として自分も相手の命も大切だからこそ、同じ生き物として平等だからこそ自分の命=時間を大切にすること、身の程を知ることが大事、そんなようなことを教えてくれてたお話なんだなぁと改めて捉え直しました。
神様じゃないので。お話のヒーローはカッコいいけど、普通それ死ぬでしょ、ってとこで無傷なのがヒーローなので。普通の人間はヒーローを目指さず、地道にコツコツ自分の人生に精を出すのが一番まっとうなのかもしれない。
そう思わされた「猫の恩返し」からの「浦島太郎」の考察でした。
追体験~時代や空間を越えた共感~
DVD や単発のドラマを最近見るようになって感じること。
追体験だなぁ、と。
映画や本の作者は、何を考えているのか分からないけれど(興味があるので調べよっかなぁ)、見るとまるで自分が体験したかのような気分になるものがある。あぁ、これを体感して欲しくて、時代と登場人物の立場やキャラクターや発言を決めて、沢山の人の目に留まるように人気の俳優を選んで演じてもらうんだなぁ、と。理解してもらいたい感情や事柄があるんだなぁ、と。世間に知られていない事柄を知ってもらうためであったり、それでその事柄に対する態度を変えてもらう為であったりする。ちゃんと、動機があって作られているのだ。ちゃんと意味があって、その設定でその配役でその言葉なのだ。選んで選んで。
それが、渦中の人には共感(私だけじゃなかったんだ、そういう体験してるの)になったり、その周りの人には理解(そういう背景でそうなってるんだぁ)になったりする。
そして明日からの世界や一人一人の選ぶ意見・未来が変わるかもしれない。
変わって欲しい、そんな願いを込めて作られた物語を見ると、それを作りたかった作者の背景も気になる。
そう思っていると他の人と共感できるんじゃないか、と自分の中に押し込めておいた感情を解放したくなる。
言語化することによって、時代も場所も離れた誰かと、共有・共感できるんじゃないかって。それは、その人の励みにもなるのかもしれないが、最初に、私の励みになる。辛かったことが、私だけのものでなくなって、誰かと繋いでくれる糸になる。それはそれで、ちょっと幸福なことではなかろうか。
インプット
わりかし本が好きで、読みたいものは読んで今まで来た。
けど、今DVDとお笑いが来てる。
父が嫌いだったお笑い。
お笑いと映画のDVD を見てると、また違った視点で現実世界を見せてくれる気がする。
きっと、小説書くのは暗い人。
暗い人が悪い訳じゃない。
私も本が好きで暗い人。
けど、本書いたりするような人は、スポーツバンバンやって仲間とグイグイ飲んで、みたいな人じゃないと思う。そんな人はわざわざ本を大好きになったり、本を書かなくても人生回して行けるはず。
だから、本からのインプットは、そういう人じゃない視点、って傾向があると思う。
だからお笑いからの視点や間の取り方や空気を読む力に、魅せられる。
持っていなかった武器、もらっちゃった感じ?装備しちゃう?まだ飲み込めてないけど。
映画のDVDからも日常の切り取り方で、作者や監督の思ってる普段や日常が垣間見られる。それが、自分と違うので、自分がよりハッキリと認識できる。世界とのズレを怖がっていたけれど、それを感じることで、自分という人間が見えてくる。自分探しって自分を掘り下げてくんじゃなくって、他者をより知ることで、その間にある境界線をはっきりさせていくことじゃなかろうか。
この、他者を知り、自分を知る、認識の変化が、意外と楽しい。
中学生位以来の、現実を生きてる疾走感。
やっぱり、RPGみたいだし?
これって、現実の人付き合いにも応用されることじゃなかろうか。
自分と似たファッションの、自分と似たパタンの、人としかつるまないんじゃなくって、自分をしっかり持った上での、全然種類の違う人との交わり。それってきっと面白いことなハズ。
それをしてそうなあの人と、今気づいてそれを始めようとしている自分との、差。
普段なら敗北感を感じそうなこの出遅れ感にも。
これも、また、味。
私は、やっとここいらでそれに気づく人間です。
でも、それでいいのです。
違うのだから。
生まれたときから。
東京電力的な会社
東京電力的な会社は、ちょっと信じられない。
始め、安全ですって嘘付いて原発とか作って。
作ったばかりの時は壊れないから、儲かって儲かってしかたなかったんじゃないかな。
社長から社員まで、待遇良かったんだと思う。
でも敷設からずいぶん経ったら、壊れ始めること、予想してたんかなぁ?
交換費用とか、耐久試験とか、もし壊れたらの試算とかしてから、儲けの分配と享受をしてほしかった。
今になって、足りないから、使ってる人多めに払って下さいとか、事故起きます、とか、やめて欲しい。もっと賢くなって。
信じていたかったよ。
単に一企業で、片田舎のつぶれそうな商店みたいに、商店主の思いでどうにでも変わっちゃう、けっこういい加減なものだったんですね。大企業って。
小池百合子都知事立派!!
給料半額なんて普通思い切れない!!
でも彼女はやってのけた。
バブルじゃないんだよ時代は。
バブル期からどれくらい変動したんだろう、都知事の給料や都議会議員の給料は。
普通の会社の役員とかよりも低かったらちょっと可愛そうな気もして気になる。
都のトップなのに。
でも。
身を切ることで、身の潔白というか、これからやることへの決意を示したと思う。
やるべきことをやるつもりなんだろう。
都議会議員の給料が1700万円て高すぎじゃない??
市民が底の底を歩んでる時代に。
ユニクロとか回転寿司とか安めの外食とか。
そして、自らがトップでたんまりお金もらってた時代の問題も責任取れないとか。
なんのために?
なんのために、都民に雇われていたのだろう。
税金のこと、湯水と勘違いしたんじゃなかろうか。
一度上げた給料はなかなか下がらないから、上げる時にもっと慎重にしてほしい。
ままをかぜからまもる!!!!!!
パブロンのCM 、子供が爆笑です。
フライパンを持ってタイトルのように叫ぶ子役に
「守れるわけないよね」
と兄弟で話しております。
知ってるよ!!
母ちゃんはそんなの知ってるよ。
それを踏まえた上で可愛いじゃん。
ドラマで人が死んじゃっても、リアルに考えるこどもには、非現実的過ぎて、腑に落ちなかった模様であります。