日本は十字軍の国じゃない!ほぼほぼ仏教と神道

というより、ほぼ無神論的。

一応仏教の行事や冠婚葬祭を選択しがちであるが、神社もいくし地域の神様を崇めたり、お祭りにも神様が出てくる。そういう国。


イスラム国」からの発言では、日本を「十字軍の国の人々」と表している。しかし、日本ではどの宗教も禁じられてはいないが、毎年毎年新しい宣教師が来てキリスト教を布教しようと頑張られても、全く浸透していかない、そんな国なのに。十字軍の国じゃない。含めないでほしい。しかも、アメリカは日本と韓国とのやり取りを見て、どちらの肩も持たなかった。うまく距離を取った。なのに、日本は偏った。そして攻撃の対象とされた。その地域にはその地域の歴史がある。今や世界は小さいのかもしれないが、築いてきた歴史はその国とその国のものだ。
十字軍の遠征時代に、捕虜となったお互いの国民を、イスラム教の方はそれなりに接し、十字軍サイドは酷いことをした、それを恨んでいる、というのが十字軍への復讐の始まりらしいが、日本は十字軍と同じではない。異なった歴史背景を持っている。むしろ、先の大戦では、十字軍だった側から原爆を投下されて痛めつけられていた国ですよ。それを、一緒くたにして矛先を向けるのは間違ってはいませんか。
「敵の敵は友達」ではないが、「友達」も選ばないと、「友達」の敵から「敵」認定されてしまう。
もっと熟考しないと。
もっと遠い国の出来事である、「イスラム国」が生まれてきた背景などを知らないと、何が怒りに触れ、どうしたらよい関係が保てるのかわからない。
事実そのような集まりが生まれた背景には辛い日常があったのだろう。そこを知り、助けられる部分は助け、パイプを作っていかないと、間違った認識のまま攻撃を受け続けることになるだろう。

流行りの蔓延は終焉の始まり。

ベージュリップが流行りに流行ったら、ティーンや20代から始まり30、40、50、60と流行りは年齢をかけ上って行く。
そこで60代も老いも若きもみんなに「ベージュリップは素敵!」って認識ができた途端、ベージュリップは普通となり、ちっとも「素敵」ではなくなっている。そして、再び「レッドリップ」再来!!最初は抵抗があり、一番若い世代から飛びつく。若すぎると、レッドリップが前に流行っていたことすら知らない。だから、逆に「新しい」のだ。

服の襟の空き具合も。
10年前位は空くのが流行っていた。
今は、詰まってるのが流行ってる。これがまた浸透したら、また逆に「襟元が広い」のが流行るんだろうけど、まだまだ浸透してないから、これは大丈夫。今買ったらあと10年くらいは行けるかも。

流行りのサイクル、、、誰が決めてるんだろう。

ジョージアってどこの国じゃぁーーー!!!

あ、


グルジア


でした。


ちゃんちゃん。


おしまい。


オリンピックまであと少しの特集を見ていて、対戦国が「ジョージア」、しかもなんか見慣れない可愛い国旗!と思ったら、なんのことはない、「グルジア」という聞き慣れた(?)国のことでした。
平成27年4月から、「ジョージア」と呼ぶことになったそう。
あらーそうなんだ♪✨


95年のロシアからの独立後、ロシア語に由来する「グルジア」から英語読みの「ジョージア」に自ら名乗り替えたそうだが、グルジア語では「サカルトベロ」。
日本では「サカルトベロ」の方が、日本語っぽくて言いやすい気がするけど(笑)
「坂本」とか「べろ」みたい。
馴染むな~♪
けど、「ジョージア」です。
コーヒーみたいだよね。

戦争を終わらせるために仕方なかった

もしものもしもですが。
もし日本人が先に原爆を発明して戦争を終わらせるために仕方なかったという理由で他国に使っていたとしたら、納得できるのですか?
自国民が殺されるのは嫌で他国民ならいい。
戦争は、そういうもの、かもしれませんが、あんな死にかた、わずかばかりでもしたいですか?されたら許せますか?
そんな兵器、もう過去のものでなくなってしまっていたならいい。
現実にあるし、攻撃したら、攻撃されると皆思っている。
その、内容について知らなくていいんですか?
自分がするかもしれないひどいこと、自分がされるかもしれないひどいことの実際を知らなくて、決断していいんですか?
奇襲はひどいと思う。でも奇襲したこと一度もないんですか?
その現場に行くのは、他の元戦地に行くのと変わらないと思う。
現在実際に持っている武器の威力と悲惨さを実感しなくていいんですか?
日本はまた奇襲すると思いますか?
しませんと言えます。
アメリカはまた核を使う日がないと宣言できますか?
しませんと言えますか?
言えませんよね?
だからヒロシマに来る意味がある。
対岸の火事じゃなくて、実際に我が身に降りかかってくる火の粉として実感して、核がどういうものか知ってほしいです。
日本人の願いは(代表じゃないので私の意見ですが。)、核兵器がどんなにむごいものか実際に肌で感じて貰いたい、ということと、アメリカに限らず、世界のどの国もが、核は使わない、と宣言し実現してほしいことのみ、と思います。
戦争でお互いに殺しあった。
だから酷くて本当は謝罪されたい気持ちもあるだろう。それは、どの国も同じ。でも、それはお互い様の部分もあるだろう。謝罪されたら謝罪しなきゃいけない、お互いにひどいことをしていた。
違うのは「核兵器を使った」ということ。

あやまちは二度とくりかえしませぬから

という気持ちに、全世界の人になって貰いたい。
(そうでなけれ我々はみな生きてはいけない)

それを共有してくれたオバマさんには、やはり感謝したいと思う。

戦争どうのこうのより、核兵器のひどさ、もう使わないという約束をもししてくれれば、他に言いたいことはないと思う。(私は)

ここに、日本人が愛するスタジオジブリの「天空の城ラピュタ」の名言を紹介しておきたい。


【土に根をおろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春をうたおう。】

【どんなに恐ろしい武器を持っても、・・・たくさんのかわいそうなロボットを操っても・・・土から離れては生きられないのよ!!!】

私たちは動物であり、ごはんを食べなければ生きてはいけない。それはアメリカ人でもロシア人でも中国人でも同じ。
ごはんを作ってくれるのは、海・土・川・人々。
核兵器を使って海・土・川が汚染されてしまえば、だれだって誰一人として生きてはいけない。
大統領や王家や貴族も、その下に沢山の人々がいる頂点に立っているから、食事調達(栽培、捕獲、整備、採集)に日々の時間を費やさなくても生きていられる。
農業や漁業に携わる人々と、海・土・川なくして、人間は生きていられない。

【国が滅びたのに、王だけ生きてるなんてこっけいだわ】

王だけが生き残ることは不可能なのだ。
そして、王だけが生き残ったら、それはもう王ではない。







戦前の日本のように孤立しないように、北朝鮮にももう少し歩み寄らなきゃな気もする。
独裁国家だって、人の国なんだから、口を出すのはおかしいと思う。
気に入らない国だからひどく扱うって、差別じゃない?
日本はもっとそれぞれの文化に寛容な国だと思う。
キリスト教イスラム教も否定はしないし尊重するけど、日本人の文化にも否定はしないで欲しい。
それぞれがそれぞれでいいと思うというか。
アメリカなどの食文化についてはアメリカ人が決めるべきで、日本人の食文化は日本人が決めるべきだと思う。それについて外国が禁止するのはおかしいと思う。私たちは、そちらの食文化を禁止してはいないのに。

北朝鮮のお偉いさんを、ただの人だと思ってバカにしているが、日本の天皇だってただの人。
その国の指導者を外国が勝手にすげ替えたら、ただの侵略。選ぶのは、その土地で生きる人々。
日本の江戸時代もお偉いさんの一存で人が虐げられていただろう。それをおかしいと外人が来て統治したら、おかしい。その国の伝統と文化は、筋が通っていなかろうが、尊重するべきだと私は思う。

小保方氏が怪しいと思う理由

出る度にきれいに?なっていく。

いやいやいや。

科学者に求めるのは、「美」じゃありませんから。

男性陣は美しいたけでうっとり賛成派に傾くらしく、着実に応援者を増やしていますが、逆に、同性からすればそこが怪しい。
理系の男性が多い社会ででずっと生きてきたであろう彼女が、「女」を売りにして、しかもメディアなどで目立てることを喜んでいそうだ。
・・本筋から外れ過ぎ。
もっと「女」をしまってくれないと、信頼できないよ。
そこで勝負している科学者って信頼できないよ。

逆に男でも、イケメンなだけしゃなくて、中身の仕事(科学でもサッカーでも)があるから、報道されるんですよね。磨くとしたら、その道の「技」ですよね!?
小保方さん、磨く部分間違えてますよー。
仕事で信頼されたいなら「技」「仕事」を磨くべきですよ。
「女」として認められたいなら、身を置くフィールド間違えてますよー。


ここまで注目を集める以前は、「科学」に身を置いて「女」を押しても、科学者の男性達から受け入れられてたんでしょうけど、「仕事」で目立ってしまったら、「美」の力の届かない外部から評価されて「仕事」の出来不出来が注目されてしまうよ、どうしても。

ここまで人に信用されなくなっちゃったら、「女」は一旦しまって、「仕事」で見返して欲しいです。
それが、同じ女として、釈明会見のぶりっこな「あります!」発言に、違和感を覚えつつも、男性受けじゃなくて、本当に「仕事」の方で認められる女性が増えてほしい、という率直な気持ちです。
力があるなら、がんばって認めさせて欲しいです、周りに。
同じ女として。

したかったことってなんだっけ?

したかったことってなんだっけ?
したかったことって沢山あるけど、実際やってみたら「違うな」「めんどくさい」と思ったり。そんなに労力が湧いて来なかったり。
ずっとロッククライミングやりたいな~と思ってたけど、やれる場所がなかったり、場所があってもどういう手続きを踏んでやってらいいのかわからなかったりだった10数年前…。
その間に結婚・出産しちゃってロッククライミングなんてやってる余裕のカケラもなかった日々。気づけば、ちょっとブームというかイケてる遊びとなり、世に普及して、普通に手軽に楽しめるようになっていた。
そして子育ても一段落しやってみた!
ら、
なんか体重分手にのし掛かってきておもーーーーーい!!!
思ってたよりツラーい。
もっと若かったら、サカサカ行けそうな道筋もなんだかちょっと時間かかってるし。
それに、命綱?してるし絶対大丈夫そうなんだけど、幼い子残して死ねない&事故レナイ!!と、なんとなく気持ちが焦ってしまう💦💦
始める前に契約書みたいのに「自己責任」って書いてあるしさぁ。
なんとなく不安なわけですよ。
子供いないときの方が、気持ちも体も身軽だった気ガスルわ。わわ。

そんなこんなでやってみてもハマらないし。
結局、子供の頃好きすぎて大事に大事にとっておいて使えなかったお気に入りのシールよろしく、その時は価値があっても、時がズレたら、ぜんぜんはまらないんですね。
「その時の自分」がやってみたかった事だし。
「今の自分」じゃないし。
「今の自分」て刻刻と変化しているんだなー。
最近時間が経つのもあっという間だし、5年前の自分も1年前の自分も、今の私とはきっと別の人なんだなー。
今、気になっていることを、ちょいとやってみてしまった方が、あとで「100%」でやるより、大分素敵な事らしい。きっとそうらしい。
と、感ずいた夕べでした。
はやくやろっと。

ママになる人へ

ママになる準備。
生真面目で融通の効かない私は、本屋で「🐣はじめての 妊娠・出産🐣」と「🐣はじめてのたまごクラブ🐣」を買いましたよ、勿論。
けれど、赤ちゃんとはどういうものか、必要なお世話とは、の概要は掴めた(?)けど、全然赤ちゃんとの暮らしは想像がつかなかった。
それに、知ってたことと言えば、ワイドショーとか雑誌とかで有名人が出産報告で言う「幸せ」「天使みたい」「愛しくてしょうがない」。本心で言ってるのか、そういう私って素敵✨と自分に心酔しているのかわからないが、とにかく、そういうこと。
○赤ちゃん=可愛いくて綺麗で天使みたいなもの
○自分の分身に出会える
と、思っていた。
ところがどっこい、生まれたての赤ちゃんって、赤くて自分にも似てないししわしわでおさるさんみたい。そういえばよく赤ちゃんはガッツ石松派か天使派に分かれる、と聞いたこともあったような・・・。案ずるより産むがやすし、とかいうけど、ほんと先人の知恵というか、先人の「言葉」は、事実を表しているわ。
そしてそして、食事→排泄→寝る→泣く、の繰り返しで、最初は笑わないということ。
最初は、よく知っている「人」っぽくない。
当然、死ぬときもだんだんと機能を失っていくのだろうから、生まれたときも、全機能整ってない。鹿みたく、生まれてすぐ立って自分で乳のみにこれりゃ安心なのにね。全機能一通り揃って、人として最小限一人前かな?と感じるのは個人差もあるだろうが、私は3歳位かなと思う。
排泄も、オムツの機能が高いんだろうからそんなに頻繁に替えなくてよかっただろうに、少しでも汚れたら替えていたし、泣くのも泣いたら抱っこと思い込んでいつでも抱っこした。そして腱鞘炎、なんてママが初ママさんにはよくいるので、みんなもそうなんだろう。でも、泣くのも抱っこされたいから、とか、お腹すいたから、とか、眠たいのに寝られないから、とか、理由があるみたい。だから、全て抱っこ、対応は、ちょっと違ったのかなーと今は思う。
そしてそして、そんなこんなで、色々と時間がかかること。そしてマニュアルがない!ということ。
時間が赤ちゃんに割かれる分、何かを諦める生活になるということ。例えば、「凝った美味しいご飯」とか「キレイな部屋」とか「落ち着いた情緒の自分」とか。それらと赤ちゃんの世話を完璧にできる人もいるだろう。でも条件が同じでもできない人もいるし、条件が違うこともある。頼りがいのある旦那さんがいたり、自分の兄弟姉妹や、親の状況だって違う。人と比べることじゃない。そして、下手でもちゃんとこどもを守って、お世話して毎日毎日過ごせたということ。その、一日一日が、○歳の娘・息子を形づくっているもの。部屋が汚くても、ご飯が野菜炒めでも、しょうがないのだ。その数年はそういうもんだ。そう思っておかないと、自分にも不満だし、そんな状況を作り出した夫にも不満が溜まる。だが、いつまでもそんなんじゃない。明けない夜はない。どろどろとヨレヨレでも、いつかは抜け出せるトンネルなのだ。とはいえ、渦中の時は必死で「😊そんな時期そんな時期😊」なんて、つゆ程も思えないと思うが、本当に赤ちゃんとの生活は、異常事態と思って、期待しすぎない方がいい。
一人一人生きていくのは容易い二人が出会って結婚し、新しい一人を背負っていく。
その初鼻が、簡単なわけがないのだ。

そして、マニュアルがないことについて。
赤ちゃんは、一人一人違う。
置かれた状況も、一家族一家族違う。
今までは、なんでもかんでも手引きやガイダンスや導入やマニュアルや平均値やランキングがあって、先に把握した上で、「それなら自分はこの辺り」と目安とすることができたが、育児では起こることもバラバラ、他を参考にしても我が子にはあてはまらないこともざら。我が子の成長を先に把握できない。更に、やっと理解できたと思ったら、成長し、また変わっていく。刻々と変化する状況。自分の頭で考えて、動くしかないのだ。そもそも平均や中央値を考える時間もない。それより、実践実践になる。

ファミコンやら家電やらを、説明書読んでから使い始める派より、実践実践派、と同じ。

そんなこんなで、出産に淡い憧れしかなかった私のような新米ママさんは、現実との落差が激し過ぎて動揺すると思うので、こんな心の準備をしておいて欲しいなーと思って書きました。

親戚とか、近くに現実の赤ちゃんとの生活見せてくれる人が女性の近くにいればいいのだけれど。
街でふとみかける赤ちゃんは「かわいー」と言われているけど、それを支えている全面的に担っているママや母の水面下の足のばたつかせようは、半端ない。
そんな3年間が待っていると思う。

そんな3年間を過ぎた私は今「うるさい」とか「言うこと聞かない」とかの新たなガキンチョ問題に直面しているが、子供達は遠くで眺めていても勝手に生きていってくれる逞しい生物に進化していて、私が少し離れただけでは死なない、という安心感を持って一緒に過ごすことができる。

赤ちゃんは、不安定だ。
天国から来たばっかりで、少しでも何かしなければ、消えてしまうのではないかという心細さが付きまとう。

その不安を持ちながら、新たな、要領もわからないことをどんどんしていかなければならない3年間。
本とかで知識を入れるんじゃなくて、自分のできることを自分でしていくしかない。
今まで蓄えてきたパワーや知恵や応用力を総動員してことに当たればよかったんだな。

そういう、試練の場として辛くて当たり前と思ってほしい。

もともと楽しい人、楽しめる人・・・・は、この文章は全く当てはまらないと思うので、気にしないでください。